再生処理の「深淵」をのぞいて

─酒井さんが再生処理の現場で働くきっかけは何でしたか？

私がもともとこの仕事に就いたのは、公務員試験に合格し、越谷市の職員として越谷市立病院の「中材」と呼ばれる「中央滅菌室」に配属されたことがきっかけでした。それ以前は料亭で板前をしていたのですが、結婚を機に将来を見直し、公務員を志したんです。

私に限らず、日本の再生処理業界で働いている方のほとんどは、偶然この世界にたどり着いた方ばかりだと思います。中材で働こうと思って若い頃から目指す方は、残念ながらまだ多くはいらっしゃらないのが現実です。

─配属が決まった時はどのような状況だったのでしょうか？

「そもそも中材ってなんだろう？」という状態から仕事がはじまり、前任の職員の方から業務内容について教わりはしたものの、ほぼ伝聞のようなかたちで、滅菌保証や再生処理についての科学的な根拠を持って話せる方はいませんでした。当時、素人なりにもこの状況に疑問を感じてはいたんですが、周囲に同じ危機感を持つ方はほとんどいなかったんです。

─酒井さんはこれまでに、再生処理の現状を変えるための活動をされてきていますが、まずはどういったことからはじめたのでしょうか。

ひとりで悩んでいても医療業界全体の現状が見えないので、まずはメーカー主催の勉強会や地方で開催されている滅菌の研究会などに参加するようになりました。そこで同じような悩みを抱えた方と徐々に知り合いになり、どうしていけばいいのだろうと話していくうちに、やっぱりまずは院内の方にこの現状を知ってもらう必要性を感じたんです。

医療施設は、それぞれのフィールドで一生懸命仕事をされている専門職の集まりでもあるので、自分に知識がないと説得力をもった話ができないですし、耳を傾けてもらえません。再生処理に携わる立場から、現状を変えるための意見を発信する上で、まずは根拠や知識が最低限ないといけない。さらに、ただ詳しいというだけでは不十分なので、年間数十人しか受からない第1種滅菌技師の資格を取得し、病院内の他の職種の方と対等にお話ができるような状況をつくっていきました。

─当時、同じように再生処理の現状に悩まれていた方々の共通の課題はなんでしたか？

再生処理の技術的な面の課題はもちろんありましたが、病院という組織内の立場から生じてしまう悩みもありました。再生処理に携わる職員は、私のように直接雇用の場合もあれば、委託業者の方や、常勤やパートなど、さまざまな形態があります。総じて病院の中での立場は低く、滅菌器や洗浄器といった装置の購入や滅菌保証のために必要な検証などを病院側に申請することは難しいですし、そもそも話すら聞いてもらえない場合もある。

そういった背景や立場の違いに関わらず、再生処理に関わるすべての人たちは、科学的根拠に基づいた滅菌保証を実施しなければならない。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉がありますが、長年経験を積んでいくほど見えてくるものがありますし、勉強していくことでわかる滅菌保証の奥深さをのぞいた時に、現実を省みた際の理想とのギャップに苦しんでいる方が数多くいます。

施設側の理解とサポートを得るための評価ツール

─2022年には医療機器学会より滅菌保証のための施設評価ツールが発表されましたが、酒井さんは作成メンバーとして参加されていました。作成時にはどのような思いで取り組まれていたのでしょうか。

2021年に発表された「医療現場における滅菌保証のガイドライン」の最新版では、確実な滅菌保証のために必要な一連の工程管理の方法や手順、考慮すべき点が網羅的に示されています。ガイドラインを順守することにより無菌性が保証され、医療器材を介した院内感染が未然に防がれることにつながるのです。しかし、滅菌保証を管理する立場や、第1種滅菌技師を読者として想定しているため、万人が理解できるようには書かれておらず、内容としては難しいんです。日本には医療施設が18万施設ありますが、第1種滅菌技師の資格取得者は約500人しかいないので、想定する読者としては少なすぎる。なので、この評価ツールのいちばんの特徴は、「はい・いいえ」で回答するだけの簡単さと、滅菌の経験が浅い方でも理解できる、わかりやすさにあります。評価ツールの項目を読むだけである程度再生処理の手順がわかるようにすることで、ガイドラインを読んでいない人にも最低限の知識が広まるように工夫しています。そして、ガイドラインに読み進めるための最初のステップにしてもらえればと思っています。

あともうひとつ、私が特にこだわったのは、中材と病院内の他部署とのコミュニケーションを採点基準にしていることです。滅菌物は使用部門での正しい保管と適正な取り扱いがなければ、患者さんに使用されるまで、その無菌性を維持できません。安全な滅菌供給業務は、中材だけが頑張っていてもダメで、関連する部署との理解と連携･協力の上に成り立つものであり、関連部署の無理解･無関心が安全の障壁となります。

病院側の理解とサポートの有無を評価項目に入れることで、現場の人たちが評価ツールを利用して、より良い滅菌供給業務のために必要な理解と連携・協力を病院にうったえかけることができるのです。

誰が、いつ作業をおこなっても、同じ品質であること

─施設側の環境整備に加え、再生処理の現状の課題として感じられていることは何ですか？

私自身がこの仕事に就いたのは偶然でしたし、これまでお話ししたような危機感を、再生処理のすべての職員が持っているわけでは当然ありません。しかしながら、患者さんの命に関わる仕事なので、誰が、いつ作業をおこなっても、同じ品質であることがとても大事なんです。

たとえばハンバーガーのチェーン店では、料理のことをなにも知らない高校生のアルバイトでも、同じクオリティの食事が出せる。その理由は、調理の手順がしっかりしていることと、スタッフがその手順をきちんと守っているからですよね。素晴らしい人材がいることはもちろん大切ですが、それが必須とされる職場だと人が集まらないですし、そのための仕組みを構築することと、その仕組みを維持するために、決められた手順をしっかり守る人材を育てることが、再生処理の現場には必要だと感じます。

─仕組みの部分については、先ほどお話いただいたように、施設の環境整備を推進することが必要だと思いますが、人材育成のために実施されていることはありますか？

中材で働く職員の多くは、医療に関する教育を受けてきているわけではないので、自分のやっている業務が患者さんの命と関わりがあるという事実を想像しにくい状態だといえると思います。頭で理解するだけではなく、実際に肌で感じられるように、まずは中材で働く職員にオペ室を見学してもらうことからはじめました。

そして2、3年前から、退室前に手術室で行う医療材料のカウント業務を、中材の職員が担当することになりました。患者さんがまだいらっしゃる手術室に入ることで、オペが終わったばかりの緊張感が伝わることはもちろん、自分が洗浄・滅菌した器材がどのように使われているのかを知ることができます。他の多くの病院では看護師がカウントを担当しますが、中材の職員が担当すれば看護師の一人分の手が空くことになりますし、常に医療器具に向き合っている立場だからこそ気づける破損や不具合なども確認することもできます。

中材では、たとえ疲れている時や忙しい時でも手順をしっかりと守ることができる、自分を律する心が必要です。オペ室での経験は、職員が仕事をまっとうする責任感を持つことにつながります。

滅菌保証は患者さんの健康な未来を守る仕事

─再生処理の現場の方に限らず、医療施設で働く方々は滅菌保証についてどのような意識を持つべきしょうか？

たとえば越谷市立病院では、年間約3,800件の手術が行われており、そこには計画的なオペだけではなく、緊急手術も含まれます。たとえそこにドクターや看護師がいたとしても、手術に必要な滅菌された器材が揃っていないと、処置ができないという事態が起こり得る。そういったことがないように、常に私たちは万全を尽くさなければいけないんです。

過去に、私の家族が大きな病気に罹ってしまったことがあったんですが、その時に当事者として痛感したのは、患者さんは病院を信じて命を預けるということです。藁をもすがる思いで頼った先の病院で医療材料のトラブルが起こりうるなんて、患者さんにとっては夢にも思わないはずです。中材は病院内のほぼすべてに影響をおよぼす仕事であり、滅菌保証は、本来元気になるはずの患者さんとそのご家族の未来を守ることでもあります。わたしたちが背負っているのはそういったことなんだと、常に意識を持たないといけないと思います。

─最後に、酒井さんが今後取り組んでいきたいことをお聞かせください。

さまざまな職種においても、いかに大切かということが理解されてはじめて認知向上につながると思いますが、滅菌関係の仕事はまだ途上の段階だと思います。現在のように、ガイドラインも滅菌技師資格もなかった時代から、苦労しながらいまの時代を築き上げてきた先輩方がいます。そういった積み上げてくださったもののおかげでいまの私たちがあるのです。私の今後の役割としては、よりよい環境をつくり次の世代につなげること、そしていつか滅菌技師が憧れの職業になるような活動を続けていきたいと考えています。